はじめに

 この本の題名は『NHKが危ない!』となっています。
  いったい何が「危ない」のでしょうか。「危ない」とはどういうことでしょうか?
  いまNHKは戦後の放送史の中で、これまでになかったような危機に直面しています。この小さな本は、この危機がどのようなものかを明らかにし、克服するには何が必要かを考えるためにつくられました。
  執筆者は全員NHK出身者です。3人とも現場で、ディレクターやプロデューサーとして番組を作ってきました。その経験から、今のNHKの危機をまるで皮膚で感じるように、自分の身にひきつけてとらえています。
 
  私たちが、かつてない危険な事態だと感じたのは、2013年11月から12月にかけて任命された4人のNHK経営委員の顔ぶれを見たときでした。
  4人のうち、長谷川三千子氏と百田尚樹(ひゃくたなおき)氏は、自民党が政権に復帰する前に結成された、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」の主要メンバーでした。この二人は安倍首相支持を公然と明らかにしている人物です。あとの二人は、安倍首相の家庭教師だったことがある本田勝彦氏、安倍首相を囲む財界人の会「四季の会」メンバーと関係が深いと見られる中島尚正氏です。
  時の権力者を明確に支持し、また深い関係のある人物が4人もNHKに送り込まれるなどという、これほどあからさまな人事は過去に例のないものでした。
  NHKは、国営放送局でも半官半民の企業でもありません。そのもっとも重要な性質は、政府から独立した国民の放送局である、という点にあります。
  この、NHKにとって最も大切なあり方が、明らかに政権に近い経営委員の任命によって揺らぐのではないか、というのが最初の危機感でした。
  その後、4人の経営委員のうち、百田、長谷川両経営委員の驚くべき言動が明らかになりました、
  経営委員の百田尚樹氏は、2014年2月の都知事選挙で、自衛隊出身の田母神俊雄(たもがみとしお)氏を応援し、演説の中で、「南京虐殺はなかった」などと述べ、田母神候補以外の候補を「人間のクズ」などと攻撃しました。
  長谷川三千子氏は、朝日新聞本社でピストル自殺した右翼運動家を礼賛する追悼文を書いたことが明らかになり、暴力によって言論報道機関を威嚇した人物を褒めたたえる姿勢が批判されました。両経営委員は単に政権に近い、というだけにとどまらず、明確に右翼的な人物であることが判明しました。
  そのあと、引き続いて起こったNHK会長の交代の動きは、NHKの危機が更に進んだ、深刻なものであることを示しました。
  2014年1月25日に就任した籾井勝人(もみいかつと)新会長は、就任記者会見で「戦時慰安婦は戦争地域にはどこにでもあった」と述べ、特定秘密保護法については「これが必要だとの政府の説明ですから、とりあえず様子を見るしかない。あまりかっかとすることはない」などと発言しています。
  日本軍「慰安婦」に関する発言は、特定の右翼政治家とほとんど同じ心情で語られていますし、秘密保護法についても批判精神はまったくなく、政権寄りであることは明らかです。
  次期会長の選任が問題になっていた時期、籾井氏の名前は、安倍首相周辺の財界人や政治家から出たという観測があり、考え方が政権に近い人物が選ばれ、経営委員会に提案されたという経緯が疑われましたが、それがこの記者会見で証明されたのではないでしょうか。
 
  なぜ、このように安倍政権がなりふり構わずNHKをコントロールしようとするのか、当然、そこには深い理由があります。
  安倍政権が目指しているのは、年来の主張である「戦後レジーム(政治体制)からの脱却」です。天皇を元首にし、自衛隊を「国防軍」にするといった内容の新憲法を制定して、日本の国家、社会を大きく転換しようというものです。
  憲法を変える前に、いま安倍内閣が進めているのは、集団的自衛権の行使ができるように憲法の解釈を変えることです。これは、日本が攻められてなくても、直接日本の防衛ではない戦闘に加わることを意味し、米軍と一体になって海外で武力行使ができる道を開くものです。特定秘密保護法の強行採決は、国家の軍事行動に伴って生じる数多くの国家秘密を隠すためではないか、という指摘は説得力があります。
  こうした方向を目指すうえで、邪魔になるのはメディアの批判です。中でも多くの国民が判断の拠りどころにしているテレビ報道で、政権に都合の悪い事実を報じさせないこと、政府を批判しないものにしておくことはどうしても必要です。NHKに対する最近の一連の介入は、そういう政権の計画的な工作だととらえる必要があります。
  こうしてみると、「NHKの危機」は、実は「視聴者、国民にとっての危機」だということがわかります。「NHKが危ない」は、実は「視聴者、国民の知る権利が危ない」ということなのです。ここに「NHKの危機」の深刻な本質があると言わねばなりません。
 
「NHKが危ない!」と言うと、政権が加害者で、NHKはその圧力を受ける被害者として弱い存在、というイメージですが、事態はそれほど単純ではありません。
  NHKの内部では、政治家との距離の近さを武器に「出世」して枢要な地位に登り詰めるタイプの幹部が常に存在してきました。
  そうした幹部管理職層が、政権や右翼的経営委員、会長の存在に力を得て、番組企画の締め付けをおこなう可能性は大いにありますし、そのような幹部でなくても、政治の圧力を想定して自己規制する傾向は伝統的に続いています。
  原発や貧困問題、軍事、外交問題など重要な問題で、真実を追求しようとする良心的な制作者たちは、いま息苦しい環境に置かれています。こうした状況は、今回の介入的人事によってさらに増幅される恐れがあるのではないでしょうか。
 
  以上のような問題意識から、本書を次のように4章に分けて構成しました。
  第1章「いま、NHKで何が起こっているか」では、問題の籾井会長記者会見の内容や、百田、長谷川両経営委員の言動を、放送法に照らして批判的に検討します。
  あわせて、戦前・戦中のNHK(社団法人日本放送協会)が、国民をアジア・太平洋戦争に動員する役割を担った歴史を振り返り、放送法が保障するNHKの自主・自立が、この歴史の反省の上に築かれたものであることをあらためて確認します。
 
  第2章「日本軍『慰安婦』問題とNHK」では、まず、「慰安婦」に関する籾井会長発言が、いかに歴史的事実に反するかを明らかにします。
  日本軍「慰安婦」問題は、NHKと政治との関係を鋭く象徴的に示す大きなテーマです。
  2001年、「慰安婦」問題を取り上げたNHKの番組『問われる戦時性暴力』は、政治家の圧力を受けた幹部によって無残に改変されました。この改変事件以来、NHKは日本軍「慰安婦」問題を13年間取り上げていません。
  現在の「NHKの危機」は、「正常なNHK」に政治が介入している、ということでは必ずしもありません。戦争中の加害の歴史の報道に関しては、すでにNHKは永く政治に屈服し、ゆがんでいるのです。何本も「慰安婦」問題で番組を制作した執筆者が、その体験を振り返りながら、現在のNHK内の閉塞状況を告発します。
 
  第3章「番組制作の良心を貫くために」では、NHKでドキュメンタリーや「クロ―ズアップ現代」「NHKスペシャル」などの制作に従事してきた執筆者が、ディレクターとしての人生、体験を語ります。当事者であった「番組改変事件」の苦しい記憶、政治部記者の局内での優位、原発事故後の報道の問題点、その中でも、良心的な番組を作り続けた制作者たちのことなど、多岐にわたる番組制作の状況が体験をもとに考察されます。
  とくにこの章では、NHK職員でありながら市民としての立場で現実と格闘した何人かの先輩ディレクター、アナウンサーを紹介し、現場制作者が市民と連帯し協働することの重要性を訴えています。
 
  第4章「NHKと視聴者の関係をどう組み換えるか」では、まず、最近の会長や問題の経営委員の罷免を求める市民運動の広がりを伝えます。受信料を支払っている市民が会長や経営委員選任の過程にまったく関われない、いびつな現状をどう変えるか、過去にあった経営委員や会長を推薦する運動の記録や、研究者の発言から、NHKを真に国民の放送局にするためのさまざまな主張や提案を取り出して紹介します
 
  NHKは世界最大級の放送局です。その保有する電波帯は、地上波2つ、衛星放送2つ、ラジオ3波の合計7波もあり、ラジオ、テレビ双方で国外向けの放送もあります。国内国外に多数の放送局、支局を持ち、正規職員が1万人を超す放送企業体です。
  放送局などの施設、使用している機器類はもちろん、蓄積された職員のプロフェッショナルな能力、過去の番組記録などは、すべて視聴者の受信料によって、長期に形成されてきたものです。したがって、NHKは国民の共有財産以外のなにものでもありません。この公共的な存在に、時々の政権の介入を許して良いはずがないのです。
 
  籾井会長、百田、長谷川両経営委員の辞任を求める声は日増しに強まっていますが、本書執筆時には、この人たちはなおその役職にとどまっています。
  私たち執筆者3人は辞任を強く求めるものですが、彼らが辞任したとしても、それで今回明らかになったNHKの危機的状況が無くなったわけではありません。
  NHKの在り方にかつてなく関心が高まっている時期に、今後のNHKのあり方を考え、皆さんとともに行動したいとの強い願いを持って執筆、刊行することにしました。
  NHKの主権者は、受信料を支払っている視聴者です。主権者である皆さんがNHKに対して要求し、行動を起こすときに、この緊急出版の本が何らかの助けになれば、執筆者としてはこれに過ぎる喜びはありません。

2014年4月8日               執筆者一同