はじめに

 共同通信を中心にした全国の38新聞社による日本世論調査会が2018年12月に実施した皇室問題についての世論調査結果が、新年になって発表されました。
 それによると、皇室に対しては、71.0%が関心を持ち、49.7%が「親しみを感じる」、18.8%が「すてきだと思う」、そして、10.1%が「尊くて恐れ多い」と答え、「何とも感じない」は18.6%、「反感を持つ」は0.8%に過ぎませんでした。最近多くおこなわれている電話による調査ではなく、12月8、9日の両日、層化2段無作為抽出法で全国250地点から3000人を選び、面接調査をするという従来の調査方式で、1561人から回答を得たものでした。

 12月上旬の調査でしたから、天皇誕生日の天皇会見はまだおこなわれていない段階での国民世論ですが、「明仁天皇(平成の天皇)がおこなってきた活動で何を評価するか」と、2つを選ぶ質問には、「被災地のお見舞い」69.6%、「外国訪問など国際親善」37.4%、「国内外をめぐっての戦没者慰霊」29.0%、「障害者や高齢者、ハンセン病元患者や弱者への励まし」17.3%などが多くの支持を得ていました。
 天皇制については、「今のままでよい」が78.7%で、「神聖な存在にする」6.3%や「現在より少し政治的な権限を与える」9.2%にたいし、「天皇制は廃止する」は3.6%に過ぎませんでした。

 2016年7月のテレビ報道に始まった「天皇代替わり」の動きは、2019年を迎えて、大きな社会的、政治的イベントになってきています。戦後「象徴」になった天皇は、改めてその存在や地位、行動を問われることになりました。そして、かつての日本の歴史や戦争の惨禍を含め、後世に何を伝えるべきかという、教育の問題や憲法を含めたこれからの日本のあり方が提起されてきています。

 かつてジャーナリズムでは、「菊」=天皇問題は「タブー」の一つに数えられ、大きく取り上げられることは稀でした。新聞では第2社会面の左上に大きくなく、というのが皇室ニュースの定位置でした。
 明治憲法時代の「天皇大権」を復活させ、かつての天皇制の下での専制国家を目指す勢力に対し、天皇制を廃止し、共和制による民主国家を目指すべきだとする主張が強かった時代には、紙面づくりを神経質にさせていました。
 しかし、「憲法を遵守する」と宣言して即位した明仁天皇はその30年間の在位のうちに、被災地訪問や慰霊の旅を続け、併せて皇族の動向も含め皇室ニュースも増えてきました。天皇の行動や発言は、「国事行為」ではもちろんないものでしたが、国民の多くの共感や支持を得ることになってきたからだ、と考えられます。
 結果的に、憲法にはない「象徴としての行為」を広げていくことになりました。言い換えれば、誰もはっきりと言わなかった日本国憲法における「象徴」とは何かについて、その是非はともかく、天皇自らが「解釈」し、「実践」してきた、と言うことができると思います。

 しかし私たちは、かつて日本の国家権力を専横した勢力が天皇を政治利用するなかで理性的、科学的判断を狂わせていったこと、結局、侵略戦争に進み、310万人の同胞と2000万人ものアジアの人たちの命を奪ったこと、そしてその根源に、ものを考えさせようとしない時代風潮、社会の空気、そして教育勅語や戦陣訓をはじめとする「天皇制教育」があったことを忘れるわけにいきません。
 なぜそうなったか、誰にどういう責任があったのか。それは簡単には解明できないことですが、かつての戦争が、「天皇制」という専制国家体制の下で、「天皇」の名によって遂行されたことは否定できない事実です。そして、「ものを言わないように育てられた国民」が、そういう歴史を作ってきたことも否定できないことなのです。
 当時の日本人は、「現人神・天皇によって統治される神の国・日本は永遠に不滅だ」と教育され、信じ込まされ、アジア侵略に突き進みました。科学的、論理的思考は失われ、現在では滑稽とさえ思われる事態が学校で、職場で、家庭でなされていました。その材料とされたのが、教育勅語や御真影、奉安殿でした。
 現人神であり、万世一系の統治者であり、神聖で侵すべからざる天皇を使った国家統制と、そこでおこなわれた戦争…。敗戦後、日本を民主国家に生まれ変わらせようとした米国と、自由と正義を復活させ、国民主権国家に生まれ変わらせようとした国民が、最も警戒し、改めていかなければならないと考えたのが、この「天皇制」だったことも確かです。

 明仁天皇は、そうした父親の時代の責任を自覚する中で「慰霊の旅」を続けたようですし、「象徴天皇」がその歴史の反省の中から生まれたものであることを自覚し、考え続けてきたようです。
 退位の年を控えた2018年12月23日の天皇誕生日に、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べた明仁天皇の言葉は、「国政に対する権能」を持たないまま「日本国と国民の統合の象徴」としての役割を負わされ、はらはらしながら過ごした彼の30年の心からの感慨だっただろう、と推察することができます。
 しかし、いまなお国内には、天皇の退位によっておこなわれる「代替わり」を利用し、かつての天皇中心の制度を復活させ、あるいは改変.強化して、支配者に都合のよい社会認識や教育制度を作ろうとする動きが活発になってきました。一体それは何なのか?

 日本国憲法の下で「象徴」となった天皇をめぐる制度は、論争を恐れる「タブー」もあって、曖昧なまま年月を経てきました。
 私たちはそこで、改めて日本国憲法下での天皇を考え、その存在や影響、果たしている役割を見つめ、国民的な議論を巻き起こしていくことがどうしても大切だ、と考えるに至りました。平成に続く次の時代も戦争のない、平和と諸国民の共生の時代とするために、新しい時代にも天皇制度があるとすれば、どうあるべきか、過去の過ちを次代に伝えるために、いまいちど見つめ直してみたいと思います。
 1941年と1942年早生まれの私たち筆者二人はともに、日本国憲法施行の翌年1948年4月に小学校に入学しました。そして、その最初から日本国憲法で教えられ、日本国憲法で学び、考えてきた世代です。「象徴天皇」という言葉は詳しくは知りませんでしたが、天皇がすべての問題を絶対的に決める「権力」としての存在ではなくなったことは、どこからか伝えられ、知っていました。しかし、父母を含め近しい人々は天皇のことなどは発言せず、沈黙したままでした。

 この本は、東京都内で、「明治150年と天皇代替わり」のシンポジウムを開いたとき、私たちがパネリストを務めたことから始まりました。
「天皇問題はなぜか議論しづらい、しかも難しい問題のような気がする。明仁さん、美智子さんのご夫婦には、好感を持っている人が多いのだが、憲法からいえば、いろいろとおかしなことがあるらしい。どう考えたらいいのだろう。
 もう一方で、天皇を利用して、日本を昔のような「国民より国家」を中心にし、「戦争する国」にしようとしている動きが露骨だ。「明治に学べ」と礼賛しながら「強い日本」を強調して、国民の意識を操ろうとしている政権とその宣伝をきちんと問題にしていかなければならない」…。
 シンポが終わってからも、そんな議論をしているうち、どう考えればいいか、問題を整理したわかりやすい読み物が必要だ、という話になりました。専門書ではなく、読者の皆さんと一緒に考え合うことのできる本、手引きとなる本…。それはあけび書房の久保則之代表の提案でもありました。
 私たちは2人とも、「天皇」や「皇室」の専門家ではありません。岩本は教育史、丸山はジャーナリズムの分野を専門としています。しかし、国民の「意識」を作っていく、そのどちらの立場から見ても、「天皇をどう考えるか」は重要でした。むしろ専門外であるからこそ、わかりやすく、問題を考えることができるとも考えました。
 いま、教育の場で復古主義的な逆コースの制度が次々と作られ、進められています。そのなかで、「代替わり」がなされます。「代替わり」が、教育や社会の風潮に政治利用されていくことは、何としても防がなければと思います。それを防ぐことで、「新しい時代の象徴天皇制」を考えていくことも必要だと考えました。

 2019年正月2日、一般参賀には15万人の人々が皇居に集まりました。「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と語り、涙ぐんだ明仁天皇の心情に、多くの人たちが共感した結果だった、と思います。明仁天皇は「我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました」とも語っています。ただ、このようなことを述べること自体が「憲法違反だ」という意見もあります。どう考えたらいいのでしょうか。
 この「代替わり」にあたって、改めて「天皇制」と教育、「天皇制」と憲法を考えてみたいと思います。
 本書を平和を願う多くの世代の方々にお贈りします。

2019年2月21日   岩本努 丸山重威